佐倉市初のJリーガー! 名古屋グランパスDF・中谷進之介選手更新日:2023年01月16日

 元・柏レイソル、現・名古屋グランパス所属のDF(ディフェンダー)。日本代表の選出経験もあるプロサッカー選手・中谷進之介さん。2022年12月に、故郷の佐倉市で子ども向けのサッカー教室を開催しました。
 少年時代から克己心が強く、真摯にサッカーに打ち込んできた中谷選手。サッカーを通じて何を学び、子ども達に何を伝えたいのか? その熱い思いを取材しました。

佐倉でのびのびと育ちました

――中谷選手は佐倉市のご出身ですね。子どもの頃はどんなところで遊んでいましたか?

 西志津小学校、西志津中学校の出身です。子どもの頃は、放課後に学校でよく遊んでいましたね。近くのもえぎ公園や志津図書館にもよく行きました。
 夏休みや春休みに絵を描く宿題が出るでしょう? 母に頼んだら、佐倉ふるさと広場のチューリップ畑に、兄と僕をつれて行ってくれたのを覚えています。

――佐倉で育ったことはサッカー人生にどう影響がありましたか?

 もうなくなってしまいましたが間野台FCに所属していました。間野台FCはのびのびとサッカーをやらせるチームで、そのチームに出会えたことが僕にはよかった。技術面を厳しく教える方針ではなく、すごく楽しんでサッカーをやれました。
 岩名球技場や上座公園など、市内のいろんなところもサッカーの試合で行きましたよ。

うまくなるしかない

――サッカーはいつから始めましたか?

 幼稚園の頃にサッカースクール体験もしましたが、正式には小学1年生で始めました。僕は「お兄ちゃんについていく」という状況が多く、兄がまず間野台FCに通っていました。
 最初は、友達が野球をやっていたので自分も野球を選びたかったのですけど、母の送迎が大変だから、兄と同じスポーツをやってくれということになったんですね。
 それでサッカーを選びましたが、プロになれたので、そこはひとつ転機だったのかなと思います。

お兄さんと一緒にサッカー教室の指導

――サッカーの面白さを教えてください。

 子どもの頃は、ただただうまくなりたい一心でした。自分が点を取ってやるんだと。
 今振り返ってみると、できなかったことができるようになるのが面白さでしたね。10回しかできなかったリフティングが、100回できるようになったとか。
 そういう小さい積み重ねで得られる達成感が、サッカーの素晴らしいところだと思います。

――これまでのサッカー人生の中で挫折を経験したことはありますか?

 佐倉市にいた頃、それこそお山の大将でしたよ。自分が一番うまいと思っていた。なのに、柏レイソルのユースに入ったらもう下手くそで、小学4年生で「上には上がいる」と痛感しました。
 その1年位はサッカーをちょっと好きじゃなくなりましたが、うまくなるしかないと思って、1人で本当に練習しました。悔しい気持ちを抱えながら練習に臨んだことで、他の人よりも頑張れたという自負があります。

――これまでで一番辛かった練習を教えてください。

 プロになってからもシビアな練習をしますが、その練習自体を辛い、苦しいと僕はあまり思ったことはないです。むしろ、自分が下手くそすぎると感じて練習に行きたくない時があるなど、メンタル面の課題がわりと多いです。
 けれど、それは自分の技術が向上することによって、どんどん改善されていくものだと思うから、その練習が辛いと思ったことはないですね。

できなかったことができるようになる

真摯であれ

――今までで一番印象に残っているプレーや試合を教えてください。

 いろいろありますが、例えば、ユーロジャパンカップ2022のローマ戦では、外国人選手とのマッチアップですね。外国人FW(フォワード)は、手足が長く身体が大きくて、ついて行きづらい。ボールを持ちながらも動き出しが速いうえにボディコンタクトも強く、さらに、シュートも決めますからね。
 今回の試合では相手に思うようなプレーをさせず、1対1で負けなかったのは印象深いです。
 また、2021年のJリーグYBCルヴァンカップは、僕にとってはプロになって初タイトルでもあり、とても印象に残っていますね。
 決勝のセレッソ大阪戦で、山中亮輔選手とのマッチアップもありましたが、柏レイソルではチームメイトでよく知っているので、左足のクロスは上げさせないようにプレーしました。

――柏レイソルのユース時代に、トップチームに酒井宏樹選手もいましたが、そのような強い選手を参考にしたり、アドバイスを受けたりしたこともありますか?

 酒井選手も、もちろんずっと参考にします。僕が小学生の時に彼らは高校生で、彼らの試合を見て学んでいました。
 印象に残っているアドバイスは「真摯であれ」。ひたむきに真面目に頑張り、練習を常に真摯にやり続けることで上手くなるよと言われたので、今も肝に銘じて、いつでも100%でやるようにしています。

体格差があっても勝ってやる!

サッカーで佐倉に恩返しを

――本日のサッカー教室は多くの参加希望があり、二部制・約80人の参加者があったそうですね。サッカー教室を行おうと思ったきっかけはなんですか?

 僕はおそらく、佐倉市で初めてJリーガーになった選手だと思っています。ある程度のキャリアを積んできたいま、佐倉市で育ったから僕はサッカーをやるようになったし、まちに恩返しをしたいという気持ちになりました。
 子ども達は、プロ選手に会う、勝つ経験がないと、プロサッカーを身近に感じられないと思います。プロを目指す機会をつくるという意味でも、今回、サッカー教室を開催させていただきました。
 数年前に20~30人程度のサッカー教室はやりましたが、この規模は初めてで、たくさんの子ども達が集まってくれました。

――地元でのサッカー教室開催はどうでしたか?

 上手な子が多いと率直に感じました。すごく才能ある子が多いので、いろんな可能性を感じています。
 今後は、年に1回、定期的にサッカー教室を開催できればいいと思っています。自分のチームを作るなどもいくらか視野に入れながら、佐倉市を活性化する手助けにもなれればいいですね。

――子どもたちには、この教室を通じてどう変化してもらいたいですか?

 まずは、プロはなれるものだと思ってほしいですね。漠然としか感じなかったプロの存在を、僕と接して、プロ選手は本当にいるんだと知ってほしい。このまちからも選手になれると彼らにリアルに感じ取って、日々頑張ってほしいですよね。
 今はゲームやスマホ、いろんな遊具の誘惑もあると思いますけど、ひたむきにサッカーを続けてくれたらいいですね。今日のサッカー教室で、すごい才能を感じる良い選手も何人かいたので、可能性はあると思っています。

サッカー教室の参加者

失敗は経験という資産

――今後の目標を教えてください。

 何度か日本代表に入らせてもらいましたが、2022ワールドカップの本戦には残念ながら行けなかったので、4年後のワールドカップは目指したいです。そこに行くために、Jリーグで結果を残したいですね。
 名古屋では、サッカー以外の事業も興し、多面的な視点を学んでいます。もし失敗したとしてもそれは経験として残るので、自分の資産と考え、いろんなチャレンジをしていきたいです。

――これから地元佐倉とどのように関わっていきたいですか?

 サッカー教室が一番、僕らしくていいのかなと思います。子どもがとても好きで、子どもの教育にもすごく興味がありますから。
 サッカーは教育的にもすごく優れていて、運動は子ども達の脳の活性化にも繋がると思いますので、そういう手助けができたらいいなと思っています。

ご自分のお子さん達に好きなことをやらせたいと語る中谷選手

サッカー教室に参加した小学生にインタビュー

――中谷選手の印象を教えてください。

 かっこよかった!
 顔もかっこいいし、プレーもすごく上手です。ドリブルが特に上手で、すごかったです。
  プロの選手と練習できてうれしい。中谷選手に会えてよかったです。

――今日のサッカー教室で学んだことはなんですか?

 中谷選手に、シュートコースでは、どこに蹴ったらいいかを教えてもらいました。これからは、自分の練習に活かしていきたいです。
 いつか、中谷選手みたいにJリーグで活躍したいです!

佐倉市内のサッカークラブに所属する小学生たち

中谷進之介選手SNS
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