地域課題と向き合い「まちづくり」に挑む、佐倉青年会議所 第45代理事長・尾形誠之さんインタビュー更新日:2020年03月10日
1949年、青年有志によりスタートした日本の「青年会議所」運動。現在では全国各地に青年会議所が設けられ、20〜40歳の青年たちがよりよい社会づくりに取り組んでいます。青年会議所という名前は聞いたことがあっても、どんな人たちがどんなことをしているのか知らない方も多いのでは? そこで今回は、佐倉青年会議所の理事長にお話をお聞きしてきました!
佐倉青年会議所ってどんなところ?
第45代理事長の尾形誠之(おがたまさゆき)さんは、1984年生まれの35歳。1歳からずっと佐倉で育ち、現在はサービス業の経営者として会社経営を手がけるかたわら、佐倉青年会議所の理事長も務めています。
――まず、青年会議所とはどんな団体か教えていただけますか?
もともとは1915年にアメリカで始まった青年活動で、日本では戦後の1949年にスタートしました。明るく豊かな社会づくりを目指す20〜40歳の青年たちが集まり、社会奉仕や行政改革などに取り組んでいる団体です。佐倉青年会議所は、全国で604番目の地域青年会議所として1976年に誕生。2020年度は39名の会員が所属しています。
――会員の方々は本業と並行して青年会議所の運動に参加されているようですが、尾形さんのような経営者の方が多いのですか?
会員の内訳としては、会社経営者・役員・管理職が約60%、そのほかは会社員という構成です。建設業から金融業、飲食業、士業、公務員などまで、業種はさまざまですね。
――みなさん、どんな思いを持って入会されるのでしょうか。
それもさまざまですが、自己成長や人脈づくり、社会貢献、自社の発展といった目的が多いと思います。
私は24歳で会社を創業し、25歳のときに佐倉青年会議所に入会しました。入会のきっかけは、会社創業前からお付き合いのあった歴代理事長にお誘いを受けて、佐倉で毎年春に開催される「わんぱく相撲佐倉場所」を見学したこと。佐倉では名の知れた企業の経営者である歴代理事長が自ら土俵整備のやり方を教えてくれたのですが、子どもたちがいい環境で相撲をとれるように大汗をかきながら取り組む姿を見て、とても感銘を受けました。私も将来企業を成功させて、社会貢献ができる人間になりたい。そう思ったのです。
――なるほど。20代半ばでそうした志を持てるのは素晴らしいですね。そもそも若くして独立の道を選んだのはなぜですか?
うちは父が会社員だったので、自分も会社員になるのが当たり前と思っていました。でも学生時代のアルバイト先の飲食店にいらしていた経営者の方のお話を聞いていて、自分が上に立って組織を動かしていく経営者という立場に憧れを抱くようになって。一度就職してマーケティング関連の仕事をしたあと、2年後に会社を立ち上げました。
私が出会ってきた経営者の方は、地位も名誉もあって、なおかつ社会貢献にも積極的な方ばかり。先輩方のような人間になるためには、もっと多くの人と出会い、多くの経験を積んで、大きく背伸びしなければなりません。佐倉青年会議所でなら、そうした自己研鑽ができ、それが佐倉の未来につながるという思いで、これまで10年間運動を続けてきました。
新規事業を通じて「まちづくり」を目指す
――佐倉青年会議所の具体的な運動内容について教えてください。
一言でいうと、社会課題を解決するための事業を立ち上げ、実行・検証・継続すること。佐倉市の地域課題はもちろん、日本・アジア・世界の社会課題にまで視野を広げ、そこから事業を創り上げます。事業の大半は市の後援のもとで行ない、ときには教育委員会などと連携することもあります。
最初の2〜3年は青年会議所が主催し、ある程度パッケージ化できたら外部企業や地域団体とパートナーシップを結んで開催していく流れが多いですね。我々だけで完結させるのではなく、住民のみなさんと協働することが「まちづくり」には重要です。
これまでの事業としては、先ほどお話に出た「わんぱく相撲佐倉場所」をはじめ、佐倉市出身の長嶋茂雄さんの名を冠した「長嶋茂雄旗争奪少年野球大会」、佐倉市民花火大会では手筒花火のパフォーマンスなども行なっています。
――尾形さんが発案した事業で、実際に形になったものはありますか?
たとえば、副理事長のときに「歌うま王者決定戦」というイベントを立ち上げました。これは、反抗期の子どもたちと親との間でコミュニケーションをとる機会が減っているという課題に向き合い、提案した新規事業です。子どもの出場を通じて家族のコミュニケーションを増やしたいという狙いがあります。
今年で4回目の開催になりますが、毎年多くの応募をいただき、プロ歌手やタレントの方々も招いての賑やかなイベントに成長しました。親御さんもたくさん応援に来てくださっています。
――なんだか企業の新規事業部門のようでワクワクしますね。事業は役職に関わらず誰でも提案できるのですか?
はい。提案内容は「社会課題と向き合えているか」「着地点が正しいか」などを理事・役員で精査し、承認されれば実際に事業を進めることができます。もともとやりたいことを持って入ってくる会員もいますよ。たとえばペットのしつけ教室を経営している会員が、ペットに関連する事業を立ち上げたこともありました。
青年会議所で積んだ経験は、自身の企業やほかの団体などにフィードバックすることが可能。それがひいては佐倉全体の活性化につながっていくと考えています。
「持続可能な自立したまち」の実現には、1人の100歩より100人の1歩
――理事長の任期は1年間。尾形さんが理事長を務める2020年度は、佐倉青年会議所が45周年を迎える節目の年でもあります。組織運営にあたってのビジョンがあればお聞かせください。
スローガンは「『学び』〜自己成長こそが未来を創る」。輝かしい未来は誰かが創ってくれるものではありません。地域の一人ひとりが社会課題と向き合い、ポジティブに行動することで、小さな積み重ねが奇跡につながります。そのために欠かせないのが、正しい道を示すリーダーの存在。佐倉青年会議所の会員には、学びを通じて自己成長を遂げ、地域コミュニティを牽引するリーダーになってほしいと考えています。
青年会議所には「修練」「奉仕」「友情」という3つの信条があります。理事長によって注力するもののバランスが多少変わってくるのですが、私は特に「修練」の比率を高めたいと考えており、今年度は会員の自己研鑽のための研修会を年5回実施する予定です。「すしざんまい」の木村清社長による特別講演会をはじめ、組織運営や人材育成などさまざまな視点から学びを得られる機会を創出します。
――新規事業を立ち上げる予定はありますか?
地域の方々に心身の健康を意識していただくための健康推進事業を企画しています。持病のある会員がいることをきっかけに浮上した案で、「運動」や「食」に関する正しい知識を養ったうえで気軽に実践できるような企画を練っているところです。また、青少年向けの農業体験事業なども考えています。
――佐倉で長年暮らしてきた尾形さんから見て、佐倉にはどんな地域課題があるとお考えですか?
まず、ほかの地域でもいえることですが、少子高齢化や人口減少は大きな課題。若者が地元で勤務もしくは起業し、地元で家庭を持ち、出生率を上げることがカギになってきます。そのための入り口として、若者が地元企業に興味を持てるようなセミナーや佐倉市合同企業説明会の開催を考えています。
また、佐倉は成田空港から近く、佐倉城跡や武家屋敷などの貴重な歴史的財産があるものの、それらを活かす余地はまだまだ残されていると感じます。国内外からの観光客を増やすためには「佐倉といえば◯◯」というブランディングをより強化しなければなりません。
――ありがとうございます。最後に、佐倉青年会議所に興味のある青年のみなさんに向けてメッセージをお願いします。
私は社会に出て、さまざまな地方の人と出会って初めて、佐倉というまちの魅力を実感しました。住みやすさやアクセスのしやすさ、歴史的財産など、少年時代は当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではなく、佐倉独自の特色だったことに気づいたのです。
そんな佐倉を「持続可能な自立したまち」として発展させるには、1人の100歩より100人の1歩のほうが重要です。行政だけでは目が行き届かない領域にまで視野を広げ、柔軟な発想で運動を展開できる青年会議所は、自分を成長させ地域の未来を輝かせたいと願う方々にとってふさわしい場所。同じ志を持ったみなさんの仲間入りをお待ちしています。
佐倉青年会議所 第45代理事長
尾形 誠之
24歳で神楽エンタープライズ株式会社を設立。25歳で佐倉青年会議所に入会し、まちづくりに関するさまざまな運動に携わる。2020年、第45代理事長に就任。「『学び』〜自己成長こそが未来を創る」をスローガンに、地域を牽引するリーダーを輩出する組織づくりに奮闘中。
<公益社団法人 佐倉青年会議所HP> http://www.sakurajc.or.jp