技術を一生の宝にしてほしい。 「現代の名工」に選ばれた理容師の熱い思い更新日:2020年03月02日

佐倉市に厚生労働大臣が表彰する「現代の名工」に選ばれた理容師がいる――。そう聞いて訪れたのは、京成本線ユーカリが丘駅近くの理容室「HAIR FLOS」です。ここの店主・花島和久さんが、卓越した技能者を表彰する「現代の名工」(2018年)に選ばれた、理美容師界では有名な人物。世界理美容選手権で金メダルを受賞するなど世界トップの技術力を誇るほか、ナショナルチームのチーフトレーナーとしてチームを金メダル獲得に導くなど、技術継承の功績も高く評価されています。現在はお店の若手理容師の育成に力を入れているという花島さん。理容師の面白さや技術継承に込める思い、そして、佐倉で暮らす魅力について話を伺いました。

技術習得のため、佐倉と東京を何度も行き来した

――理容師を目指した理由は何でしたか。
祖父母から続く理容室の3代目として生まれ、子どもの頃からお店を手伝っていました。床を履いたりタオルを洗ったり、父の見様見まねで動いていると、いつもお客様が喜んでくれた。お客様の笑顔に触れる楽しそうな仕事だなと、自然と理容師を志すようになりました。高校時代に、理容学校の通信課程とのダブルスクールで理容師免許をとり、卒業後から都内のお店に就職しました。

――すぐに家業を継がず、東京に出たのはなぜですか。
外の厳しい環境で技術を磨きたかったからです。「どうせ目指すなら一流の理容師になりたい」と、東京でも伸び盛りのサロンの門をたたき、6年間の修行生活が始まりました。朝早くからお店を掃除し、昼は接客で技術を磨き、夜は遅くまで練習…。サロンが休みのときでも都内の講習会に参加していたので、365日ほぼ毎日練習していました。

――6年間の修行を経て佐倉に戻ったのですね。Uターンのきっかけとは?
父から「そろそろお店を任せたい。佐倉に戻って継いでくれないか」と言われたからです。
ただ、佐倉から東京まで約1時間なので、佐倉に戻ってからも毎週のように師匠のもとに通っては技術を学び続けていました。佐倉のお店を閉めたあとに車を走らせ、モデルのカット練習をしに行き、午前2時くらいに佐倉の実家に帰宅。翌朝は7時から店で1時間ほど練習をして8時から開店の準備に取り掛かります。20代のころはずっとそんな生活でした。今振り返ってもかなり過酷な毎日でしたが、はやく一人前になりたい、と無我夢中でしたね。

コンテストが、自分の実力を確認する場所だった

――お店で働きながら、全国理容競技大会や世界選手権など、コンテストでの輝かしい成績を収めています。“競技”の道に進んだのはなぜでしたか。
師匠が大会で日本一になった著名な方だったからです。僕がサロンで修行を始めた2年目に全国大会で優勝し、その後世界で活躍する存在になっていった。その姿を目の前で見ていて「一流を目指すなら、ここまでやらないとダメだ」と思わされました。
もともと、中学高校でバスケをやっていて、勝ち負けがはっきりする競技の世界が好きだったんです。お店のお客様はいつも褒めて感謝してくれるけれど、コンテストは、限られた時間、環境で実力を発揮しなければ評価されないシビアな世界。悔しいこともたくさんありましたが、相対的な自分の実力や、成長感を確認できる場が自分にとっては重要でした。

――実力を突きつけられる厳しい環境に挑み続けられたのはなぜですか。
同じ理容師である、妻の理解と応援があったからです。
私が全国優勝したのは32歳のとき、世界選手権で金メダルを獲得したのは41歳のときでした。長い競技生活の間、店を留守にして海外遠征に行くことがあっても、いつも「頑張って」と送り出してくれた。国内でコンテストがある際は、佐倉の友人たちやお客様がバスや飛行機でツアーを組んで応援に来てくれることもありました。一生懸命何かを目指しているとたくさんの方が応援してくれるんだな、と実感することばかり。世界一になれたときは「諦めないでよかった」と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

――「一流の理容師になる」という言葉の通り、2018年には「現代の名工」を受賞されました。
本当にありがたいことです。ともに日本一、世界一を目指してきた同世代の理容師はたくさんいます。その中で私がいただけたのは、後進の指導、業界への貢献を評価いただけたのかなと思っています。
私自身が世界一になったあとは、世界で戦う日本のナショナルチームを育成し、チーフトレーナーとして、2014年のフランクフルト大会で金メダルを獲得するまでに成長させることができました。日本は世界一になれないだろうといわれていたファッションカテゴリーでトップになれたことを、とても誇らしく思っています。

――技術の伝承に力を注いでいるのはなぜですか。
「人生で信じられるのは技術だけ」という思いがあるからです。私の場合、「信じられるのは妻と技術だけ」なのですが、一旦妻のことは置いておきましょう(笑)。
信じられるものを自分の手で作れたというのは、生きていく上で大きな支えになります。理容師免許をとったばかりの若い人たちにも、技術を一生の宝にしてもらいたい。自分の技術でお客様に喜んでもらう仕事ができたら、毎日は本当に楽しくなる。その喜びを伝えたいし、自分が得てきた技術を、私がいないところでも発揮できるようになるまで教えたい。それができてはじめて、鍛錬してきたことに意味があるかなと思っています。

佐倉の自然から新たなヘアスタイルのアイデアをもらっている

――佐倉での生活は、理容師の仕事にどんな影響を与えていますか。
佐倉の豊かな自然に、いろんなアイデアをもらっています。
木々や草花を眺めていると、その動きからヘアスタイルのイメージや色のヒントをもらえるんです。とくにお気に入りなのは、DIC川村記念美術館。絵を見るのも好きですが、広大な庭園を歩いていると、樹木や花の色に「この色とあの色を組み合わせたらどうだろう」といろんな発想が浮かんできます。
正月には毎年一人で七福神めぐりもしています。元旦の気持ちいい日差しを浴びて歩いていると、「今年はこんなデザインに挑戦してみよう」と前向きなエネルギーをもらいます。もう7年も続けている、恒例の行事になっています。
佐倉は、畑も川も花もたくさんあって日常的に自然に触れ合いながらも、利便性のあるプチ都会で生活できる、バランスのいい街です。ここで大好きな仕事ができているのは、とても贅沢だなと思います。

――今後、佐倉を拠点にやりたいこと、挑戦したいことはありますか。
佐倉市内の中学生、高校生に、理容師の仕事の魅力を直接アピールしていきたいですね。理容師になって30年以上経ちますが、いまだに「もっといいヘアスタイルはないか」と試行錯誤を続けている。好奇心と向上心を刺激される仕事につけるのは幸せなことです。
今年は、オリンピック選手のヘアカットも担当させていただくことになり、一定期間、選手村に滞在することになります。技術を持っていれば、どんな機会、出会いが舞い込むかわからない。人に誇れる技術を持つ大切さを、子どもたちに伝えていきたいです。

*プロフィール
花島和久(はなしま・かずひさ)
理容師。「HAIR FLOS」店主。dhk東京ヘアモードアカデミー会長。全理連中央講師。

主な受賞、活動歴:
1995年 JUHA理美容総合芸術国際選手権大会 総合チャンピオン
1995年 全国理容競技大会 レディースカットヘア優勝
2004年 世界理美容技術選手権大会(イタリア・ミラノ)金メダル
2008年 シカゴ世界大会審査員 日本ナショナルチームトレーナー
2010年 パリ世界大会審査員
2012年 ミラノ世界大会審査員 最優秀審査員賞受賞
2014年 ドイツ世界大会 日本ナショナルチームチーフトレーナー
2016年 千葉県の卓越した技能者「千葉県の名工」受賞
2018年 厚生労働大臣表彰「現代の名工」受賞

2020年 黄綬褒章受章


HAIR FLOS(ヘアフロス)

住所:〒285-0859千葉県佐倉市南ユーカリが丘14-2
電話番号:043-488-2678(予約優先)
URL:http://www.hairflos.jp/