佐倉での経験が楽曲制作のすべて。シンガーソングライター南壽あさ子さん更新日:2023年05月15日
千葉県佐倉市出身のシンガーソングライター・南壽あさ子(なすあさこ)さん。佐倉で育った経験が、曲の制作や歌い手として表現するうえで、どう影響しているのか。
メジャーデビュー10周年の記念となる2023年。これまでの活動の中で得た経験や心境の変化、制作の拠点を佐倉に移した理由やこれからの活動で挑戦したいことなど語っていただきました。
メジャーデビュー10周年
――メジャーデビュー10周年おめでとうございます。これまでを振り返って思い出を教えてください。
10年活動してきて、全国ツアーを巡ったことなど、たくさん思い出はあります。CDデビューした時の話ですが、CDショップで私のCDが、私の敬愛するユーミンさん(松任谷由実さん)と山下達郎さんの間に飾られていたことがありました。デビューを実感したのと同時に、お二人ともとても影響を受けたアーティストなので、すごくうれしかったです。
――苦労したことなどありますか。
20歳から曲を書き始めて、3年でCDデビューをし、翌年にメジャーデビューしているので、曲を書き始めてからは早い流れでデビューしたことになります。曲を書いている人は、もっと早くから曲を作って経験を積んでからデビューしている人が多く、周りとのギャップを感じることはありました。
しかし、曲を制作していない10代の経験があってこそ今の制作スタイルがあると思うので、ポジティブにとらえています。
――活動を通して、変わらない部分と変化した部分はありますか?
変わらないことは、歌を歌いたいという意志です。この思いは、デビューした頃から変わっていないです。
変わったことは、仕事の幅の広がり、考え方も少しずつ変化してきました。
歌を歌うこと以外に、ナレーションや声優のお仕事だったり、絵本や作家さん、ミュージシャンの方々とのコラボレーションをさせてもらったりして、様々な経験をすることが刺激になっています。印象に残っているのは、プラネタリウムでのライブです。星を見ているお客様に歌を届けるのは不思議な感覚で、黒子のような気持ちで面白かったです。
制作の拠点を佐倉に移し、自社にスタジオができたことは大きな変化です。
今までは、レコーディングはもちろん、ちょっとしたデモ録音や収録、コメント撮影などにもスタジオを借りる必要があり、移動の手間やセッティング、時間の制約などがありました。
佐倉に自分のスタジオができたことで、落ち着ける環境で集中して楽曲と向き合えるので、中身をブラッシュアップできるようになり、広い視点を持つこともできるようになりました。
より制作活動に向き合える環境となったことで、音楽の表現の仕方についても、考え方が変わってきました。
デビューしてから、ピアノの弾き唄いと名乗ってきたこともあり、頑なにピアノと歌の両方を自分でしていましたが、特に去年くらいから、ピアノは誰かに任せるということもするようになりました。
完成した楽曲の中には、バイオリンやチェロなどいろんな音があります。ライブでは、ピアノだけで表現するため、発表した楽曲とライブは、異なるものという考えでした。今では、ライブでも、レコーディングした音源を使って表現してみたいと考え方が変わってきて、より楽曲の世界観を表現できるようになりました。
歌でいろんな人の人生に寄り添う
――曲を作るときに心がけていることはありますか?
曲を作り始めたころは、友達とか同世代が主にライブに来てくれていましたが、デビューしてからは、自分より年上の方、人生の先輩が聴いてくれるのを知りました。幅広い世代の方に聴いていただいていることを意識するようになりました。
お手紙をいただく中には、辛い思いをしたときに、歌を聴いて救われた、癒されたと言ってもらえることもあり、いろんな人の人生に寄り添っているという責任感が出てきて、言葉をより選ぶようになりました。言葉の強さや鋭さを理解して、これからも歌で人を癒すことができたなら嬉しく思います。
――今までの作品の中で思い入れのあるものはありますか?
今思い浮かんだのは、「flora」という曲です。
それまでは、ひとつの曲を書いているときに次のメロディーが浮かんでいて、アイデアが途切れることはなかったのですが、その時は、初めてその流れが止まったので、今までの作り方と少し変えてみることにしました。サビで言葉数を抜いてみることを意識したり、近くから遠くへ視点を飛ばし平和を願う曲が描けたので、思い入れがあります。
――曲を作り、歌う魅力について教えてください。
自分の思いを、曲を通して届けることができるのが魅力です。
子どもの頃から本を読むのが好きで、制作で煮詰まったときには、アイデアをもらうために夏目漱石など純文学の本を事務所にも置いて読んでいます。詞を届けることに重きを置いているので、実際は曲から先に作るんですけど、詞が先だと思ってもらえるくらいメロディーに合う言葉を選んで作っています。
白血病の子どもたちがいる病院で歌う経験がありましたが、生の歌声を初めて聴いたという声もいただいて、自分にしかできない音楽の届け方もあるんだと感じたこともあります。
佐倉での経験が楽曲に影響
――佐倉でお気に入りの場所や思い出の場所はありますか?
制作が煮詰まったときなど、DIC川村記念美術館に行ったりします。佐倉市はアートのまちで、市内にたくさん美術館があります。芸術を身近に触れることができるのが、佐倉市の良いところだと思います。
DIC川村記念美術館は、四季でそれぞれ表情が変わり緑が豊かで心が落ち着きますし、白鳥に毎回会える場所が違うので、何回来ても飽きないです。
佐倉草ぶえの丘では、2016年にバラ園芝生広場で「ローズフェスティバル・ガーデンコンサート」を開催・出演したことがあり、凱旋ライブのような感じで地元の人たちに歌を届けられたことがうれしかったですし、全国から佐倉に人が集まってくれたことが誇らしい気持ちでした。
――佐倉で過ごした経験が今に活きていると感じたことはありますか?
佐倉で目にしたものや聞いたもの、触れたものすべてが自分の曲作りに影響しています。
デビュー曲は、通学路をイメージして書いた曲ですし、「鉄塔」という歌も、佐倉での鉄塔をイメージして書きました。
過去に経験したことが曲になることがあるので、ふとした日常も大切にしています。散歩をするのが好きで佐倉でもよく散歩しますが、夕暮れの空を見ると切ない気持ちになり、そういう経験も楽曲に影響していると思います。
――これからの活動で挑戦したいことはありますか?
10年間活動してきて、継続の難しさを実感しました。これまで楽曲制作で10代に感じたことが活かされてきていました。曲を作るうえで、音楽するだけでなく、様々な人生の体験をしていくことを心がけ、聴いてくださる人に響く音楽を作っていきたいです。
【information】
★6月4日(日)名古屋「SAKAE SP-RING」出演決定!
★隔週日曜日Podcastにてラジオ「真夜中のsoup」放送中!
最新のライブ・メディア情報は公式ホームページをご覧ください。
公式HP:https://www.nasuasaco.com
【南壽さんのインタビューをもっと詳しく!】
YouTubeの「さくら動画配信(佐倉市公式チャンネル)」で南壽さんの取材の様子をもっと詳しくご覧いただけます。(佐倉市広報番組「Weeklyさくら」2023年5月8日~14日放送分)
※広報番組「Weeklyさくら」では、5月8日から新エンディングテーマとして南壽さんの「ローファー」を使用しています。