母校で撮影した最新作『書くが、まま』の上映を控えた若手映画監督・脚本家 上村奈帆さんインタビュー更新日:2018年08月31日
長編映画デビュー作『蒼のざらざら』(2013年)が、新人監督映画祭コンペティション部門最終候補作品にノミネートされ、若手映画監督として活躍が期待されている上村奈帆さん。2018年11月には、MOOSIC LAB2018長編部門 正式出展映画『書くが、まま』が新宿K’s cinemaにて公開されます。母校を撮影に使用するなど、地元・佐倉の風景にこだわる上村さんに、映画監督として大切にしていること、佐倉の魅力について伺いました。
―映画監督、脚本家を目指したきっかけは何でしたか。
「脚本家になりたい」と“自覚”したのは、中学2年生のときでした。
きっかけは、総合学習の授業で出た「将来の夢を書く」という宿題。子どもが好きだから保母さんかな、絵が好きだから漫画家かな…などと書こうとしていたとき、突然、「違う! 私は映画の脚本を書く人になりたいんだ!」と、はっきりと思ったんです。
「脚本家」という職業の存在を知ったのは、倉本聰さんのドラマ『北の国から』を見て。人々がただそこで生きている、暮らしていることを丁寧に切り取り、時間をかけて追っていることにものすごく感動し、「こんなに人の心を動かす“物語を書く仕事”があるんだ、それが脚本家なんだ」と頭に刻まれていたんだと思います。
高校進学を控えた中学3年生のときには、映画づくりや脚本を学びたいと、意志が固まっていました。
―その思いのまま、高校卒業後は映画を学ぶ専門学校・日本映画学校に進学。そこで何を学びましたか。
専門学校では、脚本ではなく撮影・照明の技術を学ぶ道を選択しました。「脚本家になりたい」という思いと熱量は中学生のころから今もずっと変わっていなくて、在学中も、物語を書きたいとずっと思っていました。でも、脚本家として生計を立てられるのか不安が大きくて、まずはしっかりと手に職を付けようと技術の道へ。卒業後も、数年は照明アシスタントとして撮影現場で働いていました。
専門学校に行ってよかったのは、四六時中、映画のことや脚本のことを考えている友達にたくさん出会えたことです。私は子どものころから、頭の中で物語を勝手に進行させてしまうクセがあって、おままごとでさえ、きっちりストーリーやセリフを作って家族や友達に演技指導していました(笑)。誰かと会話していても、物語の世界に入り込んでしまったり、クライマックスまでストーリーを進めてしまっていきなり泣き始めたりと、周りをよくびっくりさせていました。でも、専門学校にいったら、そんな子がたくさんいた(笑)。ああ、私はこのままでも大丈夫なんだ、と心が楽になったのを覚えています。
―照明から映画監督・脚本家へ、どのように経験を積んでいったのでしょうか。
自分で書いたものを自分で撮りたいと初めて思ったのが、『蒼のざらざら』(2013年公開)でした。書きたいのに書けていないという思いが爆発したように、23歳のときに脚本を書き上げ、自分で撮ろうと資金集めを始めました。完全に自主製作作品だったので、撮影にかかる全費用を賄わなければいけません。2年かけてコツコツと貯金をして、専門学校時代の仲間や照明の現場で知り合ったスタッフさんたちと、約3週間かけて撮影。試行錯誤しながら完成させましたが、力不足を痛感することばかり。「もっと勉強して、映画監督・脚本家としてやっていこう」と覚悟が決まりました。
―『蒼のざらざら』には佐倉の風景が多く登場。2018年11月公開の最新作『書くが、まま』でも母校を撮影に使用しています。佐倉で撮る理由は何ですか?
脚本を書くときに思い描く風景が、佐倉にあるからです。『蒼のざらざら』では、佐倉市在住の友人の実家(一軒家)を撮影に使わせていただき、『書くが、まま』では、母校の佐倉市立王子台小学校に全面的に協力していただきました。
両作品とも14歳の中学生を主人公にしていて、感受性の高さゆえに壊れそうな日常や、些細な言葉の重み、小さな出来事でガラッと変わる風景を描こうとしています。その原体験は、自分自身の14歳にあり、脚本を書いているときに思い描く風景は当時を過ごした佐倉にあるんです。まさか母校を使わせていただけるなんて思ってもいませんでしたが、「ここしかない」と思える場所でたくさんの大事なシーンを撮影することができたことは、本当にしあわせでした。
―上村さんにとって、佐倉の魅力とは?
緑の多さです。とくに臼井とユーカリが丘の間の田んぼが大好き。緑にかかる夕陽や家から眺めた空の明るさなど、子どものころに見た原風景を、今も追い求めて撮っている気がします。
いつか、これまでとは違う作風の中で、佐倉駅前の城下町なども撮りたいですね。
―監督として意識していること、監督に求められるものとは何だと思いますか?
衝動と客観のバランスを取ることです。これを書きたい、という衝動がなければ物語は生まれません。でも、お客様に見ていただくために、それをどう伝えるか客観視ができなければ自己満足になってしまう。「撮りたいものを撮りたいように撮る」というフェーズは『蒼のざらざら』で終わりました。求められる制約の中で興業面も考えて作品を作れるように、現在は、脚本の段階で多くの人に読んでもらい、他者の視点を入れて改稿しています。
また、撮影の現場では、若い役者さんが「自分だったらどう感じるか」という素の感受性を発揮できるように、緊張の殻を一枚一枚取り除いていく作業を大切にしています。役者さんのタイプによって、演じる前にシーンごとの感情を確認したり、最初に思いっきり演じてもらってからすり合わせをしていったり、相手が一番リラックスできるコミュニケーションを探っていきます。
映画の魅力は、感情を言葉以上に伝えられるところにあると思うんです。例えば「楽しいね」ってセリフがあったとして、その時に見せる表情や目線によって、切なさや悲しみを込めることができる。言葉には乗せられない心の機微を表現できるのが、映画であり、物語だと思います。だからこそ、「楽しいね」というセリフをどういう身体表現とともに出すか、役者さんが、自分で感じた上で演じられるような環境を整えたい。それが監督の役割の一つかなと思っています。
―今後撮りたい作品はありますか?
私が大好きな作品に、橋口亮輔監督の『ぐるりのこと』、リチャード・リンクレイター監督のビフォアシリーズ(『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』3部作)があります。
『北の国から』とも共通しているかもしれませんが、どの作品も、ただ人が生きていることに対して心が動かされるんです。『ぐるりのこと』は、一人がいろんな面や感情を持ったまま時間が進んでいくのがとても好き。ビフォアシリーズは、何気ない会話を重ねながら、少しずつ変化していく感情の様子がすごく素敵です。私も、そこにいる人と一緒にいると感じられるような作品、繰り返される日常の中でまた明日も一歩歩きだしてみようと思えるような作品を作りたいなと思っています。
※2018年11月公開 MOOSIC LAB2018長編部門に正式出典映画『書くが、まま』製作プロジェクト(クラウドファンディング)の情報はこちら
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