佐倉のストリートオルガンは今もオランダで愛されている~修理師・松本尚登さん~更新日:2025年05月14日

 佐倉ハーモニーホール(佐倉市民音楽ホール)にある3台のストリートオルガンは、1988~9年に日蘭友好の証として佐倉に譲られました。
 最も大型の幅6メートル級である『サーター』は、2025年にテレビ東京『開運なんでも鑑定団』に登場して高い評価を受け、その存在価値が全国的に注目されています。
 その専任調律師であり、世界的な自動演奏オルガン修理士の第一人者である松本尚登さんに、佐倉のストリートオルガンの特徴や保存活用に向けた想いをインタビューしました。

 ストリートオルガンは、パイプオルガンの1種で、自動演奏オルガンです。人間が演奏するのではなく、ハンドルを人力やモーターで回して演奏します。
 ストリートオルガンは、街頭で演奏するための商業用の楽器として、19世紀に西ヨーロッパ各地で盛んとなりました。
 当時は音楽を記録し再生するものではなく、庶民が音楽を聴くことは稀でした。そんな時代、庶民が溢れる街中で演奏されたストリートオルガンは、庶民に音楽を届けた特別な存在として愛されたでしょうね。

 ――佐倉市のストリートオルガンの特徴を教えてください。

 歴史を紐解きますと、ストリートオルガンの発祥は1700年代と推定され、楽器としてはそれほど古くはありません。イタリア人が街頭で演奏している絵が残されており、小さな箱にハンドルがついた形状でした。それが西ヨーロッパに広まっていきました。
佐倉のストリートオルガン『サーター』は、パンチカード式(ブック式)※のストリートオルガンとして初期のものに属します。
※本に開けたパンチの穴を読み取って演奏する方式

幅6メートル、1898年製の『サーター』。1989年に日蘭修好380周年記念で来日。

 『サーター』は、元々はベルギーのメーカー「バーセンス」が製作し、ベルギーのダンスホールで演奏されていました。それがオランダに売られ、当初はダンスホールで使われたものの需要が減り、1920年代、街中で演奏できるように、「バーセンス」がストリートオルガンにリメイクしました。それが現在の『サーター』です。
 オランダ以外の国では、パンチカード式のオルガンはダンスホールや移動遊園地、様々なフェアなどに向けて製造され、ストリートオルガン用には製造されませんでした。何故なら製造会社の顧客が個人から興行会社へ移ったことがその理由です。しかしオランダでは、ストリートオルガンのレンタル会社がオルガンメーカーにパンチカード式のストリートオルガンを依頼し貸し出すことで独自のビジネスモデルが発展しました。レンタル会社が管理したことで、十分にメンテナンスされた良好な状態のストリートオルガンが街に溢れ、庶民にも人気でした。ドイツやフランスでは個人所有のバレル式のストリートが主流で、状態も音色も悪く人気のない商売でした。一方、オランダではレンタル会社がオルガンの修復やリメイクを行うことで技術者も増えました。
 『サーター』もリメイク後、街中で演奏されていた姿が記憶に新しく、オランダでは今でも人気です。熱烈なファンもいまだに多く、日本に渡った後も良好な状態で演奏されることを多くの方が期待し、注目されているのですよ。

――佐倉市のストリートオルガンの修理を依頼されるようになった経緯を教えてください。

 佐倉市には『サーター』のほか、『サクラ』と『ベーニンゲン』という2台のストリートオルガンもあります。この2台の製作者である、ベーニンゲンさんが佐倉市でメンテナンスをする際に、私も立ち会ったのがきっかけでした。ベーニンゲンさんが高齢でオランダから来日できなくなり、佐倉市のメンテナンスの依頼を受けるようになりました。

――毎年、佐倉市に修理にいらっしゃるのですか?

 はい。1年に1回、4泊5日で佐倉に来て、3台のメンテナンスを行います。解体し、グリースを塗ったり、消耗品を交換したりして、楽器全体の状態を確認します。また、不具合がないよう、いい状態をキープするために数年後までのメンテナンスの計画を立てています。
 『サーター』は、来日後に一度オランダでオーバーホールし、それでも毎年チェックしていて、とても良い状態ですが、自動演奏する機械である以上メンテナンスと調律は欠かせません。ストリートオルガンは、風と空気圧で演奏と動作を行っている管楽器なので、風漏れを起こさないためのメンテナンスも重要なことです。

製作者の名前がつけられた『ベーニンゲン』は最も小型。1989年に来日。

――松本さんはなぜ、ストリートオルガンの修理師になったのですか?

 40数年前、22、3歳の頃だったか、デパートのオルゴール展で、ストリートオルガンの演奏を初めて見ました。電気も使ってないのに音が出るのが不思議で、その演劇的で郷愁的な音色に惹かれました。こんな物が作れて、演奏できたら楽しいだろうな、と。
 そこで、10年位、ストリートオルガンの資料を探したり、試作したり、中身を解明する研究をしていました。その後、それまでやっていた銅版画を辞めて、オルガン一本でやろうと決意して、今に至ります。

――松本さんは日々、全国を飛び回って修理にあたられていますが、日本のストリートオルガンが抱える課題はありますか?

 ストリートオルガンは、1990年代のバブル期に日本に大量に入ってきました。その中には投資目的や転売目的で購入した未修理のオルガンも多くありました。
 ヨーロッパでは、基本的にストリートオルガンを好む人しか所有しないので、とても大事にします。しかし、日本に渡ったオルガンの中には粗雑に扱われ、状態の悪いオルガンも多くあります。このような状況では、オランダの愛好家から怒られてしまいます。
 ストリートオルガンは、商売道具として使われてきた特異な成り立ちから傷みや補修跡も多く、通常の楽器とは異なり大事に扱うことを軽視されやすい楽器です。ですから、ストリートオルガンは好きな人が所有し管理して欲しいと思います。手を掛ければ、古く傷んだオルガンでもほとんどのものは修理できるのですから。

――テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に『サーター』を鑑定依頼しました。松本さんにも搬出入からスタジオでのメンテナンスまで全面的にご協力いただき、『サーター』の鑑定評価額は1,500万円と高評価でした。テレビへの出品はいかがでしたか?

 いいと思います。多くの人がストリートオルガンを聴く機会がなく、この楽器を知らない人も多いなか、テレビに登場することで、興味を持つ人も増えるでしょう。
 ストリートオルガンの音色、構造、装飾は千差万別。そのうち、修理したいと思ってくれる人も出てくるかもしれません。オランダのように、技術の伝承ができるようになれたら、とてもうれしいです。

――テレビ出演を機に、『サーター』は来日以来2度目の大解体となりました。今回、新発見もあったようですね?

 そうなんです! 『サーター』の両サイドのケースを外したのは初めてだったのですが、そのおかげで、本体部分を覆うケースは「バレル式」オルガンのケースを再利用したものだと判明しました。
 『サーター』は元来ダンスホールオルガンでした。今回の解体でサイドケースを外したところ、本体ケースが古いバレル式ストリートオルガンのケースが使われていることが判明しました。『サーター』がダンスホールオルガンだった時代の写真を見ると、本体ケースのサイズが現在のものと同じように見えるため、当初から古いケースを流用して嘗てダンスホールオルガンであった『サーター』が製作されたものと推測できます。
 古いものを無駄にせず、再利用し新たなものを生み出す文化には感銘を受けます。
 バレルオルガンはドイツ、フランス、ベルギーが主流で、そのあとオランダに入ってきました。メーカーの「ワーセン」はその残骸を集め、1920年代に『サーター』をリメイクした際、再利用したのでしょう。だから、サーターのケースは、本体よりももっと歴史がある可能性もあります。
 現代の日本だったら新しくケースを作るほうが安くて楽ですけれど、古い物を無駄にしない文化に感動しますね。

右側中央にバレル挿入口の痕跡

――テレビ出品は、佐倉のストリートオルガンの良さが市民に伝わる良い機会になりました。佐倉市ではストリートオルガンを今後、どのように守っていけばよいと期待しますか?

 適切な手法と技術で原因を追求し修理できる技術者を見極めのは難しいことです。適切でない修理によってオルガンが破壊されてしまっていることも現実に起こっていることです。
 また、将来を見据えた修理計画も必要です。これまでの修理履歴から『サーター』は40年位は重大な問題が発生することなく演奏できるでしょう。『サクラ』と『べーニンゲン』については10年位だと考えています。オルガンにとって最も重要な鞴􅨔ふいご􅨘 の皮が経年劣化し張り替えが必要になる時期が40~50年なので『サクラ』と『べーニンゲン』は鞴の張り替え時期が近いと思います。鞴の張り替えを始め、消耗部品の交換や各部の調整調律には特殊な技術と経験が求められます。適切でない補修や修理はオルガンの破壊に繋がるので、国内で技術者が見つからない場合はオランダに助けを求めることも考える必要があると思います。
 私が現役の限りは、ずっと見守って行きたいですね。

『ベーニンゲン』(左)と『サクラ』の前で。

【お問合わせ】
◆松本尚登さんHP
「PIEREMENT BOUWストリートオルガン工房」
https://www.pierementbouw.com/