お散歩しながら歴史を味わう!「武家屋敷」「佐倉順天堂記念館」「旧堀田邸」ボランティアガイドツアー更新日:2019年06月24日
佐倉は江戸時代に佐倉城が築かれ、サムライのまちとして発展してきました。街を歩くだけでたくさんの歴史的建造物や史跡に出会うことができます。今回はその中でも、映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』のロケ地になった通りのある「武家屋敷」と、「佐倉順天堂記念館」「旧堀田邸」の3ヶ所をボランティアガイドさんに案内していただきました。国内でも貴重な3館を見学しながら、佐倉の歴史に想いを馳せてみませんか?
甲冑の試着もできる! 佐倉藩士が暮らした「武家屋敷」
■旧河原家(かわらけ)住宅
江戸時代、佐倉城の城下町として栄えた佐倉市宮小路町には、たくさんの武家屋敷が並んでいました。現在公開されているのは、「旧河原家住宅」(千葉県指定有形文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定有形文化財)、「旧武居家住宅」(国登録有形文化財)の3棟。
まずは、武家の生活感を垣間見ることができる「旧河原家住宅」から。18世紀後期に建てられ、300石取りの藩士が暮らしていたこの屋敷には、当時を模した調度品や甲冑が展示されています。ちなみに居住者の身分の高さによって、舞良戸(まいらど ※身分の高い家に許される玄関の戸)、玄関の畳の数、壁の材質、長押(なげし ※鴨居の上に取り付ける部材)の有無などが異なるのだとか。時代が時代だけに、藩士とそのの部屋のつくりにもかなりの差がありました…!
案内してくださったのは、文化財ボランティアガイド佐倉の会長・大塚均さん。会社員時代から佐倉市に住み始め、定年退職後の2013年からボランティアガイドを務めているそうです。
「佐倉に移り住んだ最初の頃は、家と会社の往復ばかりで歴史のことはほとんど知りませんでした。でも、毎年10月に『佐倉の秋祭り』、11月に『時代まつり』があったり、学校で佐倉の歴史や文化を学ぶ『佐倉学』があったり、『ふつうの街とはちょっと違うぞ』とは思っていたんです。いざ歴史を勉強してみたら知れば知るほどおもしろくて、定年後は佐倉に貢献したいと思い、ボランティアガイドに入会しました」
武家屋敷では年に数回、甲冑の試着会が実施されます。大・中・小のサイズがあり、家族での試着もOK!
「私が会長になってからガイドの自主学習会を立ち上げたんですが、最近は甲冑をよく勉強しています。大多喜城の甲冑展など、あちこちに見学も行きました。武家屋敷は海外からのお客さまにも『サムライハウス』と呼ばれて大人気で、めずらしい甲冑体験はとても喜んでいただいています」
兜の前立てのデザインは、菖蒲がモチーフ。菖蒲は、「勝負」に通じることから、武家社会では好まれたモチーフです。凛とした佇まいがクールですね。試着会で使用する甲冑はレプリカですが、本物と同じ重さ10kgほどもあるとのこと! 武士気分を味わいながらぜひ思い出づくりをしてみては?
■旧但馬家(たじまけ)住宅
19世紀前期に建てられ、150石取りの藩士が暮らしていた旧但馬家住宅。ほかの2棟は別の敷地から移築復元していますが、この旧但馬家住宅は庭なども含めて当時からここに存在していました。台所にあるカマドには、毎日火を入れて茅葺屋根の保護のため煙でいぶしています。夏休みになると、このカマドを使ってご飯を炊くなど、小学生の体験学習イベントを実施しています。
■旧武居家(たけいけ)住宅
19世紀中期以降に建てられ、90石取りの藩士が暮らしていた旧武居家住宅。現在は、武家屋敷や城下町に関するミニ資料館となっています。
■ひよどり坂と武家屋敷通り
武家屋敷の周辺スポットは、江戸時代の情緒を味わうのにぴったり。サムライの古径(こみち)・ひよどり坂は、当時からほぼ変わらない美しい竹林に囲まれた坂道。武家屋敷が並ぶ武家屋敷通りは、映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』の撮影にも使用されました。
期間限定でサムライの衣装や着物を着て佐倉を散策するツアーサービス「サムライ散歩」「きもの散歩」もあり、フォトジェニックな写真が撮れること間違いなし!
http://www.city.sakura.lg.jp/0000009000.html
江戸時代の医療器具や医学書も! 「佐倉順天堂記念館」
「日新の医学、佐倉の林中より生ず」といわれは蘭学、とりわけ蘭方医学の先進地でした。立役者となったのは、長崎遊学後に江戸で蘭方医学の診療所と塾を開いていた佐藤泰然(たいぜん)。当時の佐倉藩主・堀田正睦(ほったまさよし)が、蘭学を積極的に奨励していたことが影響したと考えられます。
当時の医療の主流は、東洋医学である漢方。飲み薬や貼り薬、ときには祈祷で快方を目指し、体にメスを入れることはよしとされていませんでした。一方で泰然は、診療所兼塾である「順天堂(天の道に従う、自然の理に従うという意)」を開設し、西洋医学による治療と教育の実績を次々とあげました。
当時恐れられていた天然痘の予防も、泰然の大きな功績。従来の人痘接種法(患者のかさぶたなどを接種して免疫をつくる)ではなく、イギリス人医師のジェンナーが発明したより安全な牛痘接種法(牛の天然痘ウィルスを接種)を長崎から佐倉にいち早く導入したそうです。
「当時の麻酔は危険な副作用が多く、順天堂ではあえて麻酔を使わずに手術をして、人間の治癒力を重視していました」と大塚さん。館内に掲げられた療治定(治療費)の表を見ると、眼病や焼傷から、乳癌剔出方(乳がん手術)、割腹出胎児術(帝王切開)、造鼻施術などまで。これらを麻酔なしで行なっていたなんて、現代人としては想像するだけで痛い…!
ほかにもさまざまな医療器具や医学書が展示されており、当時の最高水準の治療が165年前の佐倉で行なわれていたことがうかがえました。
佐倉の歴史を学ぼうと思ったとき、最初に勉強を始めたのが佐倉順天堂記念館だったという大塚さん。佐藤泰然をはじめ、泰然の弟子であり養子の佐藤尚中(たかなか)、初代陸軍軍医総監などを務めた次男の松本良順(りょうじゅん)、外務大臣である五男の林董(ただす)、女子美術大学の経営再建に努めた佐藤志津など、佐藤一族には歴史的に名高い人物がたくさんいます。
「佐倉順天堂のおもしろさは『人』。私は、順天堂で医学を学んで徳島藩の藩医になった関寛斎という人の大ファン。司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に登場するのでぜひ読んでみてください」
佐倉藩最後の藩主が建てた、国指定重要文化財「旧堀田邸」
ラストに訪れたのは、最後の佐倉藩主である堀田正倫(ほったまさとも)が1890年(明治23年)に設けた邸宅。正倫は廃藩置県により佐倉から東京へ移住し、華族として天皇に仕えましたが、華族の地方移住が許可されると佐倉に戻り、私財を投げ打って農業と学問の振興に尽くしました。
邸宅のまわりに堀田家農事試験場をつくり、佐倉中学校(現在の佐倉高校)に多額の寄付も行なった正倫。佐倉高校の敷地内に建てられた正倫の胸像は、今でも学校を見守っています。
明治に入り洋風の住宅が浸透する中、「旧堀田邸」はいわゆる旧大名家邸宅。現存する旧大名家の純和風住宅は、松戸市の戸定邸(旧水戸藩主徳川昭武邸)と鹿児島市の仙巌園(旧薩摩藩主島津家別邸)、そして旧堀田邸の3軒のみと言われているそう。
「全国から名木を集め、江戸の棟梁が深川で加工して佐倉に船で運び入れたものを使っています。蔵から出てきた古文書によると、部屋ごとに材木や壁土、釘隠しなどを指定して使い分けていたようです」と教えてくれた大塚さん。ほかにも、女流画家・跡見花蹊(あとみかけい)の絵を用いた引き戸、印度更紗を貼った書斎棟の天井、さりげなく使われている七宝焼の引き手など、質素な中にもこだわりや美しさが光っていました。
自然の地形を活かした広大な庭園は、国指定名勝(旧堀田正倫庭園)としても知られています。松や百日紅(さるすべり)などが配された景観を1年中楽しめるのが魅力。現在は「さくら庭園」という愛称で一般公開されています。
「佐倉には歴史が息づいている」とは大塚さんの言葉。ボランティアガイドとして観光客や地元の子どもたちに佐倉の歴史を伝えられるのは、本当に幸せだとしみじみ語ってくれました。
「歴史や古い建物が好き!」という市外在住の方はもちろん、「地元のことを改めて知りたい」という佐倉の方も、ガイドのみなさんにご案内いただきながら佐倉の歴史を楽しく学びませんか?
※開館時間などの詳細は、下記の各HPをご確認ください。
武家屋敷:佐倉市宮小路町57番地(TEL 043-486-2947)
http://www.city.sakura.lg.jp/0000000617.html
佐倉順天堂記念館:佐倉市本町81番地(TEL 043-485-5017)
http://www.city.sakura.lg.jp/0000001196.html
旧堀田邸:佐倉市鏑木町274番地(TEL 043-483-2390)
http://www.city.sakura.lg.jp/0000000627.html
文化財ボランティアガイド佐倉
【旧堀田邸】【武家屋敷】【佐倉順天堂記念館】は、土曜日、日曜日、祝日、無料のボランティアガイドが常駐しています。案内を希望する場合、入館時に受付でお申し付けください。団体ガイドを希望される方は、佐倉市教育委員会文化課にて事前の受付が必要です(原則10名以上、希望日の2週間前までに申し込み)。
詳細は、下記WEBサイト参照。
http://www.city.sakura.lg.jp/0000004815.html
2019年の夏は、文化財施設等を回るユニークなスタンプラリーを実施予定(スタンプラリーは終了しました)!この機会に、佐倉の歴史を楽しく巡ってみては!