こどもの頃からの夢を実現させるために渡英。鍛冶職人 伊藤愛さん更新日:2025年07月24日

 佐倉市出身の西洋鍛冶職人の伊藤愛(いとうあい)さん。こどもの頃からの夢を実現させるために生まれ育った佐倉からイギリスへ渡英。留学や鍛冶工房での経験を経て鍛冶職人へ。
 佐倉で過ごした幼少期からイギリス留学時代のご経験や、今年の8月に開催される個展「The Study of Life」など、佐倉市との関わりについてお話を伺いました。

――鍛冶職人を志したきっかけを教えてください。

 元々は小学生の頃にインディアンジュエリーを作る工程をテレビで観たことがきっかけでジュエリーデザイナーに憧れを持つようになりました。お店に綺麗に陳列している商品が人の手で作られているという事を初めて目にし、自分でも作ってみたいなと。
 その後すぐに母方の親戚が当時住んでいたイギリスへ連れて行ってもらう機会があり、郊外の広大な風景やゆったりした時間の流れに惹かれて、また旅行で来るのではなく今度はジュエリーデザインの勉強をしにイギリスへ行きたいと夢を描くようになりました。
 高校は工芸科がある東京学館総合技術高校(現・東京学館船橋高校/美術工芸科)へ入学。彫金技術の基礎を学び、人生で初めて自作のシルバーの指輪を作り改めてこの道に進みたいと強く思いイギリスの美大へ留学しました。

最初の留学先であるロンドンの風景

――イギリス留学の経緯について教えてください。

 中学校で進路を考える時にはすでにイギリス留学を視野に入れていたものの担任と親からは現実を見ろと冷ややかな反応。経済的な面も含めて当然の意見ですが、無難な普通科に入って3年間を無駄に過ごしたくない。それこそお金と時間の無駄だと反論しました。
 工芸科がある東京学館総合技術高校(現・東京学館船橋高校/美術工芸科)に入学しましたが、両親との約束だった成績優秀者が得られる授業料の免除と学校独自の給付型奨学金を受けられて決意表明ができたのではと思っています。
 授業でデザインを考え型を作り銀を溶かし研磨するという、1から全て自作のシルバーの指輪を作った時は楽しくて嬉しくて時間を忘れるほど。特に銀をバーナーで溶かしていく色が太陽みたいで本当に綺麗で魅了されました。
 イギリスの美大への進学はもう初めから決めていた事なので卒業後は1年間受験の為の美術英語や作品とポートフォリオ(作品集)準備に費やし、無事にロンドン芸術大学に合格し2005年に渡英しました。編入したブライトン大学では同じように授業料が一部免除になる奨学金を取得しています。

ブライトン大学卒業時(伊藤さん:下段左端)

――イギリス留学時代について教えてください。

 渡英し、入学したロンドン芸術大学(6つのカレッジのうちカンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツへ入学)では志望した科が統合されて思っていたような技術が習得できる環境ではありませんでした。奇跡的なチャンスが重なりブライトン大学へ編入することができてロンドンからブライトンへ引っ越しました。ブライトン大学では技術も独創性もレベルの高い学生が周りにたくさんいて、私はここで挫折を経験します。このまま彫金を続けた先のイメージもできませんでした。

 その時に非常勤で教えていた鍛冶職人の先生の授業でコークス炉で赤らめた鉄を叩くという体験を初めてさせてもらいました。全身を使ってハンマーを振り続けるとあんなに冷たくて硬い鉄が嘘みたいに柔らかく曲がることに驚いて。これだ!!なんて過酷で楽しいんだろうとワクワクしました。
 その日、自転車で海沿いを走って帰っていると技法は違えど街灯も柵もベンチもお店の看板も家の門扉も鉄製のものが多いことに気がついて知らないものは見えてないんだなと実感。逆に見えてしまったら以前の視界にはもう戻れませんでした。

留学時の修行の様子

 3ヶ月あった夏休み中に近隣の鍛冶工房を探してインターンをさせてもらえないかと連絡しました。門前払い/返答なしがほとんどの中、1人だけあってもらえることになり伺ったのが後の師匠になるグラインドフォージのテリー・タイハースト氏でした。グラインドフォージはブライトンの隣街ルイスの近くにあるグラインドという小さな村で100年以上受け継がれている鍛冶屋です。

師匠であるグラインドフォージのテリー・タイハースト氏との写真

 インターン中はとにかく雑用。専門用語もわからず、道具の形状や名前をメモに取りながら一番重要だと言われた紅茶の好みを覚えてから鉄材を切ったり下地塗装を塗ったり。それでも本職の作業を間近で見ながら叩き方や温度と色の見方などを覚え、時には納品について行き設置作業を手伝いました。
 驚いたのは毎日ひっきりなしに村人や近郊のお客さんがオーダーの相談をしに来ていたことです。小さなフックから家の門扉、ガーデンアーチやカーテンレール、ナイフの欠け直しなど本当にありとあらゆる内容でした。
 大学の卒業前にテリーから行くところが無ければウチへ来ないか?と誘ってもらい弟子入りし、本格的に鍛冶職人を目指すことになりました。無給だったのでバイトをしながらの苦しい生活ではありましたが、帰国時に鍛冶道具一式を餞別にもらい今も大事に使っています。

――これまでのキャリアの中で特に印象に残っていること、転機となったことがあれば教えて下さい。

 弟子入りした最初の冬と最後の冬に教会の風見鶏を修復しました。
 最初の修復は2009年の冬。グラインド村の教会に設置されていた風見鶏で教会は1765年に再建されていますが、風見鶏自体の製作年は不明です。下から見上げている時は誰も気づかなかったのですが、第二次世界大戦中の空襲で撃ち抜かれたらしい穴が本体にありました。これもこの土地の歴史だとその穴は塞がずに全体の修復を行いまた屋根に戻しました。

弟子入り後、最初に修復した風見鶏

 工房までの帰り道にテリーから
「何年か経ってお前が国に帰って結婚して子供ができて。その頃には俺はもうここにいないだろうけど、いつか子供を連れて来て見せてやれ。お母さんが直したのよって。俺たちの仕事はそうしてずっと残っていくんだ。」
と言葉をかけられました。
 作り手の人生よりも長い時間残るものを作り、また数十年〜100年以上先に誰かの手で直されていく。なんて素敵なんだろう、と私はこの人生を鍛冶職人として生きたいと決意しました。

お子様を連れて訪英した際の写真

 そして2011年の冬に帰国する前の最後の仕事は1000年近く前から建っている教会の風見鶏の修復でした。こちらは1848年製。長い時間の中で何回か作り替えていたようです。嵐で真っ二つに折れてしまったので接合箇所は新しい銅板で補強し、景観に馴染むよう無傷な部分は美しい緑青を残したまま仕上げました。
 屋根の上に登る事は生きてる内にもう二度とないだろうけど何百年も変わらない広大な風景は忘れられない景色です。

――何歳頃まで佐倉で過ごされましたか。

 0歳〜渡英する19歳まで佐倉で過ごしました。実家はユーカリが丘です。

幼少期の写真

――子どもの頃で思い出に残っていることはありますか。

 実家では生まれる前から犬を飼っていて小学校に上がった頃に最初の犬が亡くなりその後2代目の子犬をもらって来たのですが、幼少の頃の写真は兄と共に3兄妹のように写っている写真がたくさんあります。特に2代目は室内犬だったので一緒の布団でとんでもない寝相で寝てたりしていました。

幼少期、家族みんなで仲良く寝てる様子

――現在のキャリアに影響していることはありますか。

 母が昔から植物が好きで、家の庭も魔女の家みたいでしたが特にバラに関しては並々ならぬ情熱を持っていた印象です。自然と植物やバラをモチーフにした作品を好んで作るようになったのもそんな影響があると思います。
 幼稚園〜小学校低学年の時にルネ・ラリックの香水瓶やティファニーのステンドガラス作品の展示にも連れて行ってもらった気がします。(当時は退屈で早く帰りたかったと思ってたけど笑)
 父は私が10歳の頃に病気の後遺症で全盲になりましたが、鎚目の手触りや香るメタルローズなど視覚のインパクトだけで完結しない意匠も取り入れています。

自然いっぱいの素敵な、現在の工房(外)の様子

――八千代市の工房について教えてください。

 2017年の開業時から昨年まで勝田台駅から徒歩数分の元トレインカフェの下の建物を工房として借りていました。上に古い都電が乗っているユニークな建物なのでご存じの方も多いかもしれません。大家さんご夫妻には本当にお世話になって辛い時も親身になって頂いたりとても助けられました。建物の老朽化もありましたが、数年前から周辺の開発が一気に進んだ事で両隣に住居が建ってしまい作業音を気にする事も増えたので少し郊外の方に昨年の6月に移転しました。住所は非公開です。(見学不可)

工房の中の様子

――プライベート(家族の事、余暇の過ごし方、好きな音楽など)について教えてください。

 夫も佐倉出身で中学校のクラスメイトです。私にそっくりな小学生の娘はここ数年「鍛冶屋になりたい」と言うようになり、春休みは教えながら一緒に作品を1つ作りました。この先どうなるかはわかりませんが彼女の目標になれているなら嬉しい限りです。

 仕事が趣味のようなものなので余裕があれば自分が使う用に何か作ったり、最近は工房で家庭菜園をしています。あり合わせの資材でピザ窯も作ったので友人達と時々宴をしています。

 Sigar Ros, Radiohead, oasis, P!NKは学生時代から聴いています。King Gnu、星野源、Mrs. Green Apple、ROTH BART BARONは仕事中にかける事が多いですね。

工房内での作業の様子

――佐倉で開催予定の展示会について。

 オーエンス八千代市民ギャラリーで8/7〜8/17まで個展を開催した後、8/20〜8/31に旧青菅分校でも展示をさせて頂ける事になりました。7年ぶりの個展になります。

――今後の佐倉での活動について。

 これまでは佐倉との関わりは佐倉ラベンダーランドの常設作品の制作のみでしたが、今年の3月に開催されたシン•マチマーケットに呼んでいただいて初の凱旋ワークショップを実施しました。
 佐倉こそ刀鍛冶や鉄砲鍛冶などの歴史も深く、オランダなどの西洋との関わりも深いのでワークショップや学校での講演なども積極的に行いたいです。

シン•マチマーケットでのワークショップの様子

――現在、佐倉でよく行くところ、好きなところ、食べ物など教えてください。

 娘と一緒に染井野の天然温泉「澄流」にはよく行っています。のんびりできて良いですね。臼井にある生パスタ専門店の「すたじお〜に」さんはもう15年ほど通っていて家族で大ファン。特にアラビアータが大好き。毎年お正月は中学の同級生の実家の下志津の報恩寺(だるま寺)にお参りをして頂いただるまを飾っています。

――鍛冶職人としての今後の抱負は何ですか。

 誰かの人生や生活、景観の一部になるものをこれからも人生をかけて作り続けます。性別や国籍関係なく、将来のキャリアに鍛冶職人を選ぶ子供達が1人でも多くなるように色んな前例と実績を作っていきたいと思っています。決して1人では経験できなかった事、乗り越えられなかった事がたくさんあるので鍛冶職人という職を通して地域や若い世代に還元できれば。

――若い方々や佐倉市民へのエールをお願いします。

 私は将来の夢を割と早い段階で見つけていたので、どうしたら実現できるか。それが実現したら次はどんな夢を叶えようかを常に考えていました。ライフステージによって形は変わりながらも10代の時に思い描いてた以上にファンキーな未来にいますが、地続きでもあると思っています。佐倉で育ったからこそ歴史と西洋の文化に興味を持ち、ブレンドしていく事に抵抗がなかったのかもしれません。「知らないものは見えない」まずは住んでいる街を知ろうとしてみてください。実はすごいっていうものがたくさんあります。

■プロフィール
 伊藤 愛

東京学館総合技術高校工芸科(現・東京学館船橋高校美術工芸科)にて日本の伝統的な技法を含む彫金技法を学ぶ。
在学中より西洋の金工技法にも興味を覚え、卒業後かねてからの夢であったイギリスの美大へ留学を果たす。
渡英後、ロンドンのカンバーウェルカレッジオブアーツに入学。2018年より八千代市の黒沢池のたたら祭実行委員に参加し、鍛冶の実演を行なっている。

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